西日本豪雨〜総社市②奇跡の下原地区

訪問日 8月30日。
岡山県総社市の中でも、被害がひどいのは昭和地区と下原地区だと聞きました。特に下原地区はアルミ工場の爆発と水害で2重の非常事態に見舞われた地区だと聞き、訪ねました。

爆発と水害に苦しめられた地区なので、現場は相当荒れているのかな、と思いきや、道はスッキリときれいに片付けられ、屋根や窓にはブルーシートがきっちり入っています。心なしか、空気も軽い感じです。

そして、市役所や自治会の人が集まっている「下原公会堂」でお話を聞く事に。担当してくれたのは、総社市の職員の新谷さん。発災後、この地区の現状をほぼ把握しており、自治会と連携して下原地区の復興に尽力している職員さんです。
「ここは片岡市長がサテライトを7月11日に開設を指示して、7月13日に職員3名を配置。私も下原地区の自治会とは顔なじみが多かったため、こちらに配置されました。今は片付けがほぼ終わったため復旧作業の調整を終え、住民のための復興手続きをする窓口(住まいの応援窓口)となっています。」と、さらりとお話しする新谷さん。

「え?片付けがほぼ終わった??」、思わず聞き返してしまいました・・・。

以下、ざっと下原地区の被災状況を説明します。
7月6日、夜11時35分。
ドォーーーーーーン!!!という大きな音と、地響き、燃え上がる火柱と爆風により、下原地区の人は飛び起きました。氾濫した川の水により、アルミ工場が水蒸気爆発したのです。初めは、爆弾が落ちたのか??と思われましたが、工場の爆発だとわかり、直ちに2次爆発の恐れを危惧。自治会長、班長、地域の住民が下原地区は111世帯に、すぐさま連絡を取り合い、全員無事との安否確認をしました。

そして、2次爆発の危険に備えて住民全員が避難をするために、市役所への連絡や車や避難場所の手配などの行動を起こす。7月7日、夜中の2時すぎに避難を開始し、自家用車や総社市が手配した車で避難場所のアリーナへ移動させ、朝の4時には地区の住民全員が無事に避難をする事が出来ました。

その時、下原地区は爆風や火災により、全戸が被災。まだ水害には遭っていませんでしたが、夜が明けると・・・一級河川の小田川が決壊し、約1.5mの高さまで水が流れ込みました。夜中に避難した住民は、着の身着のままで飛び出し、家に帰ることが出来なくなったのです。

さて、ここまでの話で驚いたのは、何故夜中に住民全員が素早く避難をすることが出来たのか、ということです。

その秘密は・・・
下原地区は、もともと防災の意識が高く、7年前から自主防災に取り組んでいたからなのです。明治26年に小田川が決壊し、32人もの住民が亡くなり、生き残ったのが26人、という大きな被害がありました。
その時の教訓を踏まえ「水害は必ず起きる!」と日頃から危機感を持って生活していました。

いくつもの避難経路、世帯台帳に基づいた安否確認、会長と班長の連携、それらがうまく機能していたのです。年に一回の避難訓練、数年前には夜間訓練も行っており、今回の災害ではその時の訓練がそのまま役に立ちました。
そのため、災害が起こった時に”誰が何をすればいいのか”各自が理解しており、家の中にいる人まで、一人残らず迅速に避難することが出来たのです。

住民は避難所から片付けに通い、職員の新谷さんも素早くバックアップ。自治会長さんがリクエストしたものはすぐに準備し、これから必要になるものをあらかじめ判断して自らがオーダーをかける事もしました。

片岡市長から「こういう時だからこそ、お金を使え!被害のひどい地域は、全戸を職員が回って聞き取れ!」と多少無茶な指示もありつつ、全力で取り組みました。
そのおかげで、発災後3日間で大まかな処理が済み、7月14〜16日の3日間はボランティアさんを一日500人規模で投入し、エリアを決めて一括作業。「順番にやるから待っててくれ。3日間でやるからな!」と、110戸の片付けがほぼ終わったのだそう。すごい超スピード復旧です!こんな心強い行政と自治体が連携している復興の形があったとは!
素晴らしいというか、感動すら覚えてしまいました。
これまで私が見聞してきた行政や自治会とはあまりにも取り組む姿勢やスピードが違っていて、話を聞いても「!!!」ビックリマークしか出てきません(汗)

さらに新谷さんは、話を続けます。
「僕たちも行政として関わって、下原地区の人には驚く事ばかり。焼けた家具、壊れた窓ガラス、泥の掃除など、みなさん笑顔で片付けているんですよ。愚痴や不満を聞いたことがなくて、みなさんすごく元気で前向きなんです。これは僕にも不思議で。復旧の主役は自治会のみなさんですよ」

それでも、よほど場慣れしていなければ、職員さんの判断でテキパキ指示を出すことなどできません。すると、「市長が災害があったら職員を被災地に派遣するんです。現地を見ることが防災意識の向上に繋がる、ということで、私をはじめ50名上の職員が被災地支援のために派遣されています。総社市では災害があればすぐに活動できるように毎年予算を1000万円取ってるんです。」

片岡市長さんの街づくりへの思いや行動力、あたらめて驚きます。そして、こうした活動があるからこそ、全国から応援や支援の手が届き、復旧のスピードを加速させたのでしょう。

自主防災組織部長さんと組織副本部長さんにもお会いできました。
「わしら、明治の大洪水で生き残った26人の子孫よ。曾祖父さんから、ずっと話を聞いてたから、頭の中に”災難は必ず起きる”と思って自主防災をやっとるんよ。台風も地震も避難行動は一緒じゃ。今回の災害も下原地区は7つの班があって班長が安否確認。その一覧表を元にして行動した。住民350人、怪我人はいたが、ゼロ死よ〜」と笑顔で答えてくれました。
「市の職員さんも、ようしてくれるんよ。話も良く聞いてくれるし、この二ヶ月でわしらより職員さんの方が地区の家庭事情まで知っとるくらいじゃ〜」

市役所、自治会、地域の人々。皆さん、本当に仲が良さそうで、お互いの意思疎通や連携もバッチリ。こういう関係づくり、防災や地域づくりには、人と人とのコミュニケーションが大事なのだなぁ〜としみじみ思いました。

やはり、人や地域がもたらすパワーは凄いです。
「困った時はお互い様」
今日も片岡市長はツイッターで、「総社市の復興本部は、全速力で市民の幸せを取り戻す為にがんばる」とつぶやいていました。

下原地区では、さらなる復旧を祈念して、これから「伊与部山」を盛り上げるイベントを企画しています。下原地区には、古墳や磨崖仏(まがいぶつ)、神社が一度に巡れる有難い史跡や公園があるのです。

良い気が流れているから、人も笑顔なのかもしれません。
総社市のこれからも、知りたいなぁ。
そして、また下原地区には、パワーをもらいに行こうと思います。

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