旧日本海軍の潜水艇「第六潜水艇」は、明治43年(1910)4月15日、訓練のため呉軍港を出航。山口県岩国市沖で沈没し、乗組員14人が殉職しました。
毎年、4月15日には三条にある鯛乃宮神社で追悼式が行われ、今年でなんと112回になるのだとか。
恥ずかしながら、鯛乃宮神社でこの式典に参加したのは初めてです。
色々調べてみると、そもそもは「第六潜水艇」は異例の単独訓練ではあったが、「小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス 誠ニ申譯無シ」の書き出しで始まる佐久間勉海軍大尉の遺書は、海軍部内は言うに及ばず、日本中に忠君愛国の美談として知れ渡りました。
日露戦争から明治末にかけて、戦争に向けて高ぶる国民感情と世相の動きがある中、殉職して永くその栄誉を称えられる海軍軍人は、佐久間大尉だけです。
海上自衛隊の関係者や地元の住民が参列。
儀仗隊が空砲を鳴らし、海上自衛隊の音楽隊の演奏が流れるなど、清々粛々とした雰囲気の中で式典は執り行われています。
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全国各地に「慰霊碑」や「忠魂碑」があるものの、戦争体験者が少なくなり、忘れ去られてしまう事が多くなっている「今」という時代に、呉市でこのような式典が続けられている事、知ろうと思えば身近に戦争を感じられる海軍の街に生まれた事に、じわじわと感情が動きました。
やはり呉はすごい街です!