「第12回街あるき」〜警固屋上道路編

心配だったお天気も晴れになり、2022年6月19日に、「第12回 街あるき〜警固屋上道路」を歩いてきました。
鍋・警固屋は「KUREP 」編集長こと、私の生まれ育った地区なので、特に感慨深いエリアです。それをみんなと歩くことになるなんて〜。

呉駅からバスに乗り、鍋峠で下車。小さい時から数え切れないほど見てきた「日新製鋼予備品置場」ですが、ここは、1945(昭和20)年6月22日に、計336発の爆弾がまさに雨のように落とされ、働いていた挺身隊、動員学徒、その他の女子工員など、死傷者1500名以上になったそうです。

その女子挺身隊の方々の476人の乙女たちの死を悼んで、1965(昭和40)年11月23日に殉国の塔が設置されました。
しかし、旧日新製鋼用地で普段は施錠されているためご遺族が自由にお参り出来なかったため、2008(平成20)年現在の鍋山公園内に移設されました。

幼い頃から見慣れていた風景に、そんな悲しい歴史があるとは、本当に戦争は残酷です。
最近、鍋山団地の入り口に「殉国の塔」の看板が新設されました。
忘れさられることなく、新しい看板が建てられたのは後世に伝えるために大切です。
「街あるき」は6月19日。
77年前の6月22日は、海軍工廠の製鋼部・水雷部・砲熕部が壊滅的な空襲を受け、大勢の女子挺身隊や学徒動員された若い命が亡くなりました。

「殉国の塔」の形は、当時彼女たちがかぶっていた防空頭巾を型どっています。
何の罪もない乙女たちが兵器を作る作業に駆り出され、青春を楽しむことなく亡くなった戦争の悲劇を思うと、胸が締め付けられるようです。
しかし、これは77年前の現実。こうした事実を忘れず、私たちの平和がある事に感謝します。
二度とこのような事がありませんように🙏と手を合わせました。
警固屋の上道路は道幅が狭く、車が離合するのが難しい箇所が数多くあります。そんな道はテクテク歩くのが一番ですね。

日新(あえて日新製鋼:現日本鉄を呼び親しんでいる「日新」と記載します)の煙突と、ぎっしり建てられた家。車は入ることもできないような複雑な細い道ばかり。どの家も日新から出た鉄粉で屋根や壁が赤茶色になっています。
夜中になると、煙突から吹き出した鉄粉で空が真っ赤になり、まるで夕方のように赤かったです。
これが、この地域での当たり前の風景。

今では煙が上がるもなくなり、日本製鉄は2023年9月末をめどに全施設が休止します。
これは本当に衝撃のニュースで、全国でも大きく取り上げられました。この地区は日新と共に生活し、栄えてきた地区なのです。

目を凝らすと、「KUREP 」編集長の実家もこの中にあります(笑)
この錆色のぎゅっとした小さな町が、小さな私の世界の全てでした。

「まさか日新が無くなるなんて、考えたこともなかった」
ただただショックで、今も本当に信じられない気持ちでいっぱいです。
これから、どうなるのか・・・呉の未来を案じます。
かつて通学していた「鍋小学校」。学校からも日新をいつも見ていました。
2009(平成21)年3月末で鍋小学校は廃校、警固屋小学校に統合。
廃校になり、プールには苔が生えて、寂しい姿です。私が通学していた昭和40年代は生徒数も多く、1学年あたり3〜4クラスあったと記憶しています。合唱の練習や学習発表会に力を入れており、全国から大勢の先生が見学に来ていました。
長い朝礼や運動会、合唱コンクール、懐かしい思い出が蘇ります。
その当時、ピンクのランドセルは学校で私一人だったな・・・w
こんな細くて急な道も日常の当たり前の景色。
半分階段、半分道はバイクが通るためです。
竹本さんに「これはすごい道ですよ。森土恵神社の参道でしょう」と言われて、「はぁはぁ」と気付きました。「この辺は初めて歩きます」「こんな景色があったのですねぇ」と参加者も楽しんで歩いています。
今回、警固屋ドッグに関連のあった御先祖様の家を探すために参加した方もいて、地図や資料を見ながら、実際の景色を目の当たりにして、「なるほど〜!この辺に住んでいたのですね」と得心していました。

いつも車で通り過ぎる風景を、いろんな角度から楽しむことができる「街あるき」。
竹本さんの丁寧な下調べとコースのチョイスにワクワクします。鍋・警固屋で育った私でも知らないことがたくさん!!!
警固屋音戸バイパスを歩き、「六地蔵」へ。地元なのに、恥ずかしながら「六地蔵」初めて聞きました。以前は、警固屋地区の火葬場にあったものを旧音戸ロッジ下の貴船神社付近に移設してきたのだそうです。

お地蔵様のお世話をしてるおばさまにご挨拶をして、貴船神社へ。
京都の貴船神社の分社で、雨乞い祭りをすれば必ず降る霊験があると伝えられています。
貴船神社から見える第二音戸大橋。「歩かないと見えないこのアングル、新鮮です!」と、カメラマンの人が喜んでいました。

鍋峠をスタートして、音戸の渡船口がゴールなのですが、そろそろゴールも近くなり、海の側を歩いて潮風を感じます。のんびりした良い風景です。
そして、音戸の渡船口に到着。残念なことに、船は2021年(令和3)年7月19日から運休し、2021(令和3)年10月31日に船頭が廃止を決断しました。
呉に遊びにきた人をよくこの渡船に乗せていた自慢の航路でした。
日本で一番短い航路、ありがとう!そして、今回は、私も自分の過去を振り返る鍋・警固屋コースになり、古き良き昭和をじっくり堪能しました。寂れていく街を見るのは切ないけれど、一人じゃなくてみんなと歩けて本当に良かったです。

竹本さん、参加者の皆さん、お疲れ様でした〜。
歩いて発見、学びを深める「街あるき」、地元の人でも知らないネタがたくさん出てくる我がまち「呉」は本当に面白い!
自分の街をまずは知ること、そして未来を繋げましょう。

<<お知らせ>>
次回は2022年9月25日(日)
初の広方面、長浜を歩きます。「街あるきスト」竹本さんが興奮するくらい濃い内容になりそうです。お楽しみに!

イベントの申し込みには、「くれ・ひと・まち情報応援団」への登録が必要です。
メルマガにて参加のご案内を致します。

メンバー登録はこちらから(メール会員無料)

関連記事

  1. 「海上自衛隊呉地方総監部」見学会

  2. ゆるりと時間が流れる「仙人珈琲」

  3. 漁師の誇り「とんてことん」

  4. 第4回まち歩き 「両城・川原石コース」

  5. ふうちゃんの見た呉空襲

  6. 「澎湃館に込めた思い」