令和6年6月16日は、「第30回 呉街あるき(三之瀬を歩きましょう)」でした。
今回は、一区切りとなる30回目を迎え、いつもの「街あるき」より、ゆっくりした大人のピクニック気分で楽しんできましたよ。
現在の下蒲刈町の行政区の変遷は、1891(明治24)年に「蒲刈島村」が、「下蒲刈島村」と「上蒲刈島村」に分村。
1962(昭和37)年1月1日、下蒲刈島村が下蒲刈村と改称し、同時に町制を施行して「下蒲刈町」になりました。そして、安芸郡下蒲刈町が呉市になったのは、いわゆる平成の大合併による、2003(平成15)年からです。
広駅前に集合して、バスで「とびしま海道」の入り口になる下蒲刈中学校前で下車。
下蒲刈中学校は2020(令和2)年3月に閉校しましたが、実はKUREP編集長は下蒲刈島とは小さい頃からご縁があります。
私の祖父こと”林正男”は、呉海軍工廠海軍技手養成所の出身で、戦艦大和の設計技師をしていましたが、1945(昭和20)年の呉空襲で下蒲刈に疎開。
1947(昭和22)年、学制改革により、下蒲刈中学校を開設。
祖父は戦後、これまでの経験や教養を生かして下蒲刈中学校の教員やペン習字の師範として教育に携わりました。
80歳以上のの島にお住まいの方に聞くと、皆さん学校で祖父に関わったらしく「こわい先生じゃったよ〜。覚えとるよ。”コッパン”ゆうて呼びよったんよ」とのこと。
*祖父のあだ名の言われはわかりません・・・
今回はじめて竹本さんから下蒲刈中学校の開校年を教わりました。終戦から開校までの2年間、5人の子どもを育てるために、戦後のゴタゴタなどで祖父母は大変だったのだろうな〜、としみじみと思い返すことができました。
下蒲刈島は古くから瀬戸内海の要衝であり、下蒲刈島に本拠を置いていたのが豪族の多賀谷氏です。天神岬に丸屋城を築き、14世紀末から16世紀末の約200年間、勢力を振るっていました。
歩道や櫓(やぐら)、橋など、立派な設備が整っている「大津泊庭園」を歩いて、「天神鼻」へ。
「天神鼻」の謂れは、菅原道真が九州に流される途中、暑くもてなした島の人へのお礼に、天神様1体をこの地に祀ったからだそう。
ここで、歩いているからこその発見がありました!
参加者で元理科の先生をしていた方が「これはすごい断層ですよ!見事だな〜。こんなところに有るとは知りませんでした」と興奮気味に食い入る断層を見つけました。
呉市の天然記念物になっている広小坪の褶曲と断層は、呉市のホームページにもあります。
しかし、それ以外でこんなにはっきり見える断層はなかなか見られないそうです。
もっと詳しく調べたら、もしかして注目のスポットになるかも?!しれませんね。
下蒲刈の三之瀬地区をテクテク歩きながら、目の前の海とゆったりとした島時間を楽しみます。
歩いていると、こんなユニークな細い家を発見!
先端は人ひとりちょっとの幅です。ほそ〜〜い。中はどんなになっているのか、気になる設計ですね。
そして、海岸の道沿いでひときわ目を引く建物が「観瀾閣」です。
木造2階建て、外壁はタイル張り、中国の磚造(せんぞう)建築の意匠を取入れ、国の登録有形文化財に指定されています。
1935(昭和10)年、下蒲刈出身で南満州鉄道の敷設工事で名を馳せた、満州土木建設業協会理事長を勤めた榊谷仙次郎が建てた別荘です。
入ることはできませんが、中の建具や欄間、天井などに、素晴らしいものが残されているそうですよ。
そして、少し角度のある階段を昇ると、弘願寺(ぐがんじ)さんに到着しました。
お楽しみのお昼の時間になりました〜。
当日は境内の軒先をお借りして、上蒲刈の「恵みの丘」から配達してもらっボリューム満点の島のお弁当をいただきました。
弘願寺は、浄土真宗本願寺派のお寺で、藝藩通史では1525(大永5)年、僧常浄が開基。
私の祖父母もお世話になっているお寺さんなのですが、敷地内にある「永野記念館」に入るのは初めてです。
周りから「すごい人が出ている名家なんよ」とは聞いていましたが・・・
記念館の建物や内部の展示物も、実にしっかりとしています。
本当に、ここも知られざる施設なのかも。
永野家は、昭和の時代に日本の政治、経済、宗教界で活躍した兄弟を輩出しました。
運輸大臣をつとめた長男 永野 護(まもる)、新日本製鉄初代会長 日本商工会議所会頭の 次男 永野重雄(しげお)、五洋建設会長の四男 永野俊雄 (としお)、日本航空会長 五男 伍堂輝雄(てるお)、浄土真宗本願寺派監正局長 参議院議員 六男 永野鎮雄(ちんゆう)、石川島播磨重工業副社長 七男 永野 治(おさむ)。甥には広島県知事の永野嚴雄など、錚々たる活躍と肩書きにびっくり!
運輸大臣になった永野護氏が下蒲刈に帰ってきた時は、まさに島を上げての大歓迎!「故郷に錦を飾る」といった大賑わいの写真や勲章、賞状、資料など、なかなか目にすることはできないものが展示されています。
また、弘願寺第9世住職円識とその弟子宇都宮黙霖、黙霖と勤皇の志士との関わりを表す資料もあり、歴史好きな人には見応えがあります。
瀬戸内海の小さな島から出て日本を政財界で大活躍した一族の資料を目の前にして、今更ながらに驚きました。
お寺を後にし、竹本さんのガイドで島内の細道を歩きます。人しか通れないような道は、島のあるあるですね〜。
森之奥厳島神社も訪ねました。
宮島の厳島神社と同じ「市寸島比売命」が祭神です。
少し寂れた感じがしましたが、清々しい空気も流れていました。
境内には盃状穴:はいじょうけつ(盃状穴とは 、岩や石製品に盃状や、すり鉢状の穴を掘ったもの)があり、子宝,安産,豊作を願う信仰心のシンボルになる神聖なものです。
これまで祖父母が暮らしていた島なので、幼少の頃から毎年お正月や夏休みなど、数えきれないほど滞在していた下蒲刈町は「ふるさと」の島なのですが、知らないことや行っていない場所がまだまだあることに有り難く思えました。
やはり先人たちは素晴らしい!そして、実は身近なところに「お宝」があります!
森之奥神社から移動する途中には、何気なく江戸時代に使用されていた井戸も見つけました。これは、本陣跡裏にある本陣井戸です。
島は水が少ないので、多くの井戸が掘られており、今でも江戸時代に使用されていた井戸が3箇所残っています。
三之瀬御本陣芸術文化館、福島雁木あたり。
この辺は通常のガイドブックで詳しく紹介されています。
三之瀬地区はさほど広く無いのに、ぎっしりと見どころが詰まっていますね。
その後は自由時間を取り、竹本さんが下調べしたバスの時間までおのおので蘭島閣美術館や朝鮮通信使資料館、松濤園などをゆっくり見学。
歩いた総距離は、約3.3キロのコースでした。

その日の「蘭島閣美術館」は、須田国太郎の特別展でした。
いつもの「街あるき」に比べると、約半分の距離、そして公共交通機関を使いながら倍の時間、そしてお弁当付き!
「街あるき」一区切りとなる30回記念でもあり、ゆったり大人のピクニックコースを楽しみました。
ご参加の皆様、ありがとうございました。
<お知らせ>
秋からは、少しペースダウンします。
これまで開催した街あるきコースの組み替えや、「行きたかったけど参加できなかった」「もう一回してほしい」などのリクエストにお応えしながらの「街あるき」になります。
2021年1月のコロナ禍の真っ只中から。「歩く」ことなら良いのでは?と、スタートしたのが「呉の街あるき」です。
街あるきストの竹本哲朗さんが丁寧に下調べしたユニークなコースを、ガイドしてもらいながらオリジナル資料を持って歩きます。
第一回のレポートのリンクをクリック↓
第1回まち歩き 呉の街を再発見&新発見!
呉好きなメンバーが集まって、ちょっとマニアックな内容で、深いい呉が学べる「街あるき」。
歴史と史実に敬意を感じるコアな呉好きが増えますように。
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