第16回 街あるき(呉越・阿賀コース)レポート

2022年12月18日は「第16回街あるき」。
安芸阿賀駅に集合して、呉市役所前まで約5キロを歩きました。

「呉越の旧道を歩こう!」をテーマにして、今回も見慣れた風景をまったく違う角度から検証するユニークなコースです。

そもそも「阿賀」という地名は、平安中期の辞書「和名抄」に「安芸国賀茂郡香津(かがつ)」として登場。それが、江戸後期の地誌「藝藩通誌」には「香津といえる此地なりと言う、かが、あか、転訛せしにや」と記載があり、やがて阿賀村になったそうです。駅を出ると、「東新開」の石柱にさっそく注目です!
阿賀駅の近辺には、こうした地域の地名や歴史を説明する町標がところどころにあり、何気なく歩くときにチェックしてみては。

”街あるきスト”竹本哲朗さんが毎回丁寧に下調べをしてくれ、呉市内の「こんな石碑や道にこんな言われが!」という驚きと発見が、楽しみで仕方ありません。
神田神社にお参り。
神田神社の森には、約30種類に及ぶ樹種があり、ヤマビワ、カンザブロウノキ等、県下でも珍しい樹木が含まれています。その中でも特に、ヤマビワは広島県では神田神社にしか見られない珍しいものだそうです。

また、神田神社には60点以上の絵馬が飾られおり、呉市の有形文化財です。神田神社に奉納された絵馬のほとんどは、江戸時代中期以降のもので、神社で行われた歌舞伎の様子や当時の風俗や生活が描かれ、じっくり見ると面白いです。
沖田(阿賀中央公園付近)(阿賀北8,9丁目、阿賀中央2,3丁目)から昔の阿賀商店街があった旧道を歩きます。その中に、ふと立派な家があったり、建築を見るのも興味深いですね〜。

テクテク裏道、旧道を歩いていると、見上げるように高い石垣があったり。

「あっ!こんな所に防空壕が」
呉の街はそこかしこに、こうした戦争の記憶を呼び起こすものが日常の中にいまも残っています。

原小学校の横も通りました。今は1学年1クラスなのかな〜。

「大坪谷」に到着。こんな神社があったのですね。
大坪谷(阿賀北3,4,5丁目)は、1928(昭和3)年4月に阿賀町が呉市と合併し「大坪谷」と呼ばれるようになりました。かつては、三ツ池と呼ばれた呉越池・大坪中池・大坪下池の三つの池があり、阿賀一村を潤す水源で、旱魃でも底を見せたことが無かったそうです。

阿賀の隠れた名所・旧跡を紹介する「あがまち銘板」にも詳しく書いてあります。阿賀地区にはところどころ、「あがまち銘板」が設置されているのですが、これもすごく面白い歴史などが書かれていますので、探してみると良いですよ!
後ろについて、テクテクと歩を進めます。
「あら、いつも車で通っている道が見える〜〜」
次なるスポット、「
呉越名水」へ着きました。
呉越街道(旧道沿い)に100年以上前から祀られるお地蔵さんがあり、その横には井戸は、休山からの伏流水が湧いています。
この井戸は現在でも飲むことができるとか!
昔、ここを通る人は、この井戸で喉の渇きを潤したり、牛や馬にも飲ませたそうです。
いよいよクライマックスの呉越峠の一番高いところへ。
大正末期までは呉越は開削されておらず、本当にひとやま越えて歩いていました。その感じが、この道を歩くとじわじわ実感できます。

「わ〜〜〜〜!このいつも車で通る道を上から見下ろすなんて!」
歩いているからこそ見えるこの新鮮な風景にびっくり。
これだから街あるきはやめられません(笑)

この旧道の標高は90.6M、昔市電が通っていた道の標高が73.7M。
本通13丁目付近から徐々に坂道がキツくなり、道路を直線で開設すると市内電車が坂道を登れなくなるため、左右に曲がりながら掘削し、勾配を緩めにして開通をしました。

「街あるき」オリジナルの資料を片手に、いろんな学びを深めながら歩くと、不思議の呉の歴史がストンと体に落ちてきます
峠を下りながら、またさらに脇道へ。今は営業をされていない「畑温泉 家族風呂」の前も通りました。
とにかく、小さな道をうまく繋いで、細道と裏道を歩くのが楽しい!

ちょっと気になっていた「大和屋漢方薬」の間にある道を通って、「亀山神社由来伝」に記されている「チキリカネリの瀧」があったとされるポイントへ。

「チキリカネリの瀧」は俗称「チキリの瀧」として言い伝えられ、場所も吾妻川の吾妻2丁目「ふかみスマイル歯科」奥のガケの辺りと言われています。現在は見えないようになっており、「瀧」という感じは全然しないです(汗)が、まさに秘境の発見です!

鹿田にある狭衣(サイ)の社で神衣を織り、赤色で型染めした丹摺りの巫女をチキリ(織機)カトリ(織物)の瀧で晒し清めて季節の神衣を奉ったという意味と思われます

竹本さんがたくさんの書物を紐解いて見つけた場所で、近所の人も全く知らないのでは・・・

三宅本店「千福」さんのところにある「呉宝橋」。これ、良く見ると徳利とお猪口のデザインになっているんですね。
なるほど〜、なんと遊び心があるんでしょう!

「千福」さんの醸造所のすぐ下のエリアは、昔「朝日遊郭」がありました。

「朝日遊郭裏門はあのあたりです!」竹本さんの説明に力がはいります(笑)参加者も「この世界の片隅に」のシーンが頭に浮かんだことでしょう。

呉の歴史やストーリーは耳を傾けると、本当に面白い話ばかりです。さすが、海軍さんの街!

いよいよ「街あるき」も終盤に近づき、「栄町商店街」をブラブラ。
昔は本当にたくさんのお店と人で賑わっていたのですが、近年はめっきり人通りがなくなり、寂しい限りです。
ここ数年でも商売を辞めたお店が増えました。

しかし、お肉屋さん、魚屋さん、惣菜屋さん、果物屋さんなど、一部のお店が頑張っています。

移ろい行く呉の街の歴史と景観。
私たちはそんな街の様子をしっかり見て歩いていこう!
そんな気持ちなりながら、今回の街あるき、ゴールをしました。
皆さん、お疲れ様でした。

次回2023年1月15日は「上長迫から平原」を歩く、迷路のような道を歩く呉好きのためのコースを予定しています。

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