呉市にある「海上自衛隊呉地方総監部」を見学してきました。
現在の「海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎」は、「旧呉鎮守府庁舎」として使用され、横須賀・舞鶴・呉・佐世保、と全国四箇所に設置された鎮守府の中で庁舎が現存するのは横須賀と 呉の二箇所だけ。
煉瓦造りで瀟洒なデザインの建物(1907年竣工)は、大抵の呉市民は外から見ることはあっても、中に入って見ることはなかなかできません。
私もこの建物が眼下に見える宮原高校の出身なのですが、3年間ずっと眺めるだけ。その存在は謎のベールに包まれた建物でした。
今回初めて中に入る人もおり、皆さんドキドキワクワクです。
海上自衛隊呉基地内にある旧軍遺構を研究している広島工業大学の光井周平准教授に案内をお願いし、特製の資料を手にして「ふんふん。ヘェ〜」と頷きつつ、しっかりお話を聞いて学びます!
そのほか「呉海軍軍需部文庫庁舎」、「呉海軍軍需部第」、「呉鎮守府電話綜合交換所」などがあり、敷地内では明治・大正・昭和の煉瓦造りの建築が一度に見られます。光井先生曰く「建築好きな人にはたまらないとこです!」
呉地方総監部第一庁舎の玄関ホールものぞきました。モダンなデザインが施された天井、赤い絨毯に素敵なライト、「ここは本当に呉?!」と驚くような美しい空間でした。
そして、今回の見学の目玉である、旧呉鎮守府庁舎の西側、大階段の南側に位置する鉄筋コンクリート構造の半地下施設(地下壕)へ。
中は巨大な空間になっており、普段は一般公開されていない貴重な遺構です。
旧日本海軍の呉鎮守府が「電話総合交換所」として使っていたそうです。
過去に海上自衛隊自衛隊でも調査した資料を参考にし、2017年7月から光井先生と呉工業高等専門学校の上寺哲也先生、有志の学生が本格的に調査を始めました。
土砂で崩れている箇所や水が流出している箇所などが、戦後そのままの状態で残っています。
中の最も大きな空間は東西14m、南北15m、高さは最大で6mほど。ど〜んと迫力があります。
コンクリには砂利が混ざっており、壁の厚さは1.5mほどあって、とても頑丈にできています。この巨大な空間は、当時どのようにして作られたのでしょうか。
「呉本」「呉本に」の著者丸古玲子さんが呉空襲を伝える絵本「ふうちゃんの空」について話をしてくれました。
76年前、一夜にして呉市内が焼け野原になった紛れもない事実。
私たちは当時の戦争を経験することはできないけれど、精一杯の想像力を働かせて、戦争の記憶を自分の頭と心で考えることはできます。
現在戦争をしているソ連とウクライナのこと、今ある平和な日本。
当時の雰囲気が濃密に漂う空間の中で「戦争」について思いを馳せると、胸にグッときました。
続いて、施設の2階部分へ移動。
施設や地下壕のなどに関する資料はほぼ処分されており、設計図や写真を集めるのが実に大変なのだそう。
この写真は光井先生がネットで探し出したもので、天井のアーチが同じ!オーストラリア兵と日本人女性の交換手が座っています。
先生たちの熱心な研究により、徐々にその当時の様子が分かってきました。
それでも、まだまだ分からないことばかりで、光井先生は「解き明かすことにワクワクしています」と目を輝かせながら話してくれました。
屋外にある呉海軍軍需部需品庫も見学しました。
明治33年(1900年)に建てられ、明治38年(1905年)の芸予地震で壁面にひびが入っています。昭和20年の空襲でも焼失し、修復されながら現在にこの姿をとどめています。しかしながら、経年劣化や災害の影響で今後この姿を維持できるかどうかは分からないそうです。後、10年後に崩してしまう可能性も否定はできないのです・・・
今回は厳しい条件の中、呉地方総監部広報推進課の方々と慎重に協議を重ね、見学会に対応していただいた事。そして、快く案内を引き受けて頂いた光井先生、お話をしてくれた丸古玲子さんに深く感謝いたします。
赤煉瓦、雲ひとつない晴天、満開の桜🌸。
唯一無二の風景に出会えて、参加者の皆さんも心に残る1日になったと思います。
呉にはまだまだ知らない歴史、行きたくても行けない場所、知られざる魅力のあるところがたくさんあります。
一緒に活動して、その感動を皆さんと共有できれば幸いです。
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