小坪・小須磨を歩こう!「第14回街あるき」

2022年10月16日(日)、「第14回街あるき」に参加してきました。
小坪・小須磨地区はめったに車でも通りませんし、まして歩くチャンスなんて、そうそうありません!

新広駅で待ち合わせ。生活バスに乗り、こつぼふれあい広場で降車。

小坪褶曲(しゅうきょく)、殿山、小須磨、猫瀨戸を眺め仁方駅へ向かうコースです。

バス停から降りて、少し歩いた住宅街の中に、地層が曲がりくねるように変形した地層が見えました。これが「小坪褶曲」です。平らな地層が地殻内部のひずみによって横圧力を受け、しわを寄せたように波形に曲がった現象のことで、1億4300万年から2億1200万年前のジュラ紀にできたものだそう。こんな身近な場所で、地殻変動の激しい日本の壮大な歴史ロマンが簡単に見られることにびっくりです!

「ヘェ〜〜〜〜!」「こんな場所があったのですね」「地学好きな人にはたまらない場所ですねぇ」と、皆さんからの驚きの言葉が漏れます。
呉市天然記念物にもなっており、すぐ目の前も横も普通の住宅という立地で、こんなダイナミックな地層がすぐに見られるとは思ってもみませんでした。

小坪では、かつてこのような地質現象をよく見る事ができましたが、防災工事などで地層を直接見る事ができなくなっています。

元々、小坪は呉で唯一、石灰岩層でできており、小坪では早くから石灰業が起こり、「石に明け、石に暮れる」と言われるほどの繁栄を誇りました。


テクテク歩くと、「旧殿山マリーナ」が見えてきました。
殿山マリーナがあった場所は「小坪の猫山」とも呼ばれ、山の形が猫がうずくまっている恰好に似ているからそう呼び名がついたと言われています。

また、「殿山」と呼ぶ由来は、1862(文久2)年に藩公(殿様)の御座船が暴風雨にあい、小坪の港へ座礁。その時に目前の猫山の形をとても気に入り、この事から猫山を「殿山」と呼ぶようになったそうです。

昭和時代はここにクルーザーなどの船を係留している人の話も聞いていましたが、今はすっかり「廃墟感」が漂っていました。
旧殿山マリーナサイドから、倉橋島の東端にある日本遺産「亀ヶ首発射場跡」も見えました。地形が亀の首のように見えるため、そう呼ばれました。

「亀ヶ首発射場跡」は1901年に初めての発射試験が行われ、世界最大の口径46cmを誇る戦艦大和の主砲や数多くの軍艦の大砲などの発射試験をした海軍のトップシークレットの場所です。
なるほど。以前、「亀ヶ首発射場跡」ツアーで上陸したときに、同行した方が「私は小坪に住んでいて、いつも”亀ヶ首”を見ているのですが、調べても謎が多く、行くこともできないので参加できて感動しました!」というお話しを思い出しました。

*「亀ヶ首発射場跡」に上陸した参考記事(リンク)

小坪からはっきり見えますが、「行くことの難しい場所」であり、近くてすごく特別な遠い場所ということを、感慨深く思いました。

良いお天気で、歩くのも気持ち良いです!
海を見ながら歩くと、「礒神社」が見えてきました。
室町時代の1463(寛正4)年時の武将、白井水軍の白井雅楽頭の勧請によって創建されと言われています。
その縁があるため、この地域は「白井」さんという名前が今も多く残っています。

そして、磯神社の舟形石の手水鉢は、舟の形をした珍しいもので、呉市有形文化財にもなっています。
また、礒神社の境内には約200本ウバメガシが群叢し、呉市天然記念物です。


右手に下蒲刈島を眺めながら、ゆるりと小坪から仁方地区へと、キラキラ光る美しい海のそばを歩く爽快感がたまりません。
仁方町戸田は呉八景の一つ「安芸の小須磨」と呼ばれ、昭和時代までは海水浴や行楽で賑わう、松並木と砂浜が美しい海岸でした。
現在は、台風や大波の被害を防ぐために防波堤と波消しブロックが設置され、残念ながら美しい海岸線を臨むことはできません。

また、今回は見学しなかったのですが、戸田地区には呉市有形文化財になっている「三刀家資料」があります。呉地方でただ一人、適塾(緒方洪庵塾=大阪大学の前身)で西洋医学を学んだ仁方の医師・三刀寛一郎が収集、筆録したもので、一個人のまとまった史料としては大変価値があるものだそうです。

さらに進むと「猫瀬戸」または「女猫の瀨戸」と呼ばれる地域に。
まわりは何もない、と言えば本当に何もないのですが(笑)、車であっという間に通り過ぎるのではなく、のんびりと風を感じ、深呼吸をしながら歩くのが「街あるき」の良さなのです。
本州と下蒲刈島をつなぐ「安芸灘大橋」が見えます。

猫瀬戸と呼ばれるこの海峡は、天然のタイなどが獲れる良質な漁場で、「安芸灘大橋」の橋脚や基礎は、海域内に置かないよう配慮されて吊橋になりました。

仁方の漁港、やすり工場や仁方桟橋などがある仁方のメイン地区に近づいてきました。
仁方桟橋のある桟橋通りでは、1691(元禄4)年に塩の製造が始まり、呉・川尻・黒瀬などからの買いに来る人もおり、近郷で唯一の繁華な地と言われていたそうです。
かつての国鉄時代には、四国の堀江とを結ぶ「仁堀連絡船」という鉄道連絡船が運行していたり、近くの島々を結ぶ航路の発着場になっていました。
平成12(2000)年に「安芸灘大橋」が開通してから、島への航路は廃止されましたが、仁方港は地域を繋げる要所だったんですね〜。
 それにしても、今回の小坪〜仁方コースは、いつもの「街あるき」より歴史を訪ねるスポットは少なかったのですが、太古の歴史ロマンを感じた断層や「亀ヶ首発射場跡」を別角度から見たり、きれいな海を見ながら歩いたのは感動でした!

いつも試し歩きをしてコースを組み立ててくれる竹本さんの視点と想いに触れ、のんびり海岸線を歩いてリフレッシュした一日でした。
最後は帰りのバスの便の都合であたふたしましたが、ご参加の皆様、ありがとうございました。

次回の「街あるき」も、お楽しみですよ〜。

<<お知らせ>>
次回、「第15回街あるき」は、2022年11月 20日(日)に開催です。

旧澤原家(三ツ蔵)見学&すずさん家を歩くコースです。
普段は入れない旧澤原家も見学できますよ。
以前も歩きましたが、「街あるきスト」竹本哲朗氏による少しアレンジしたコースになりますので、前回参加した方も楽しめます。もちろん、初めての方も一緒に歩きましょう。

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