第18回 街あるき(西谷から望地へ)

2月19日、「第18回 街あるき」を開催しました。

西谷から望地を歩くコースで、今回もその地区に住んでいる人以外、普段は歩くことのないレアなコースです。

呉市役所前の「KUREP+」に集合し、”街あるきスト”竹本哲朗さんの後について歩きます。胡町公園を通り、伏原へと向かいます。

トンネルに近い方から西原町、伏原町、京町、成町がありました。
今は無い町名ですが、KUREP編集長の祖母は呉空襲の前には「成町」(現在の豊田内科近く)に住んでいたと聞いていたので、少しルーツを辿れたようで嬉しい!

明立小学校(旧上山田小学校)の手前の駐車場では、「ここは、水を通していた”井手”の終点で、以前はため池でした。」と竹本さんからアナウンスが入ります。
なんて事のない駐車場も、ちょっとした説明が入るだけで、「へぇ〜」となるのが面白いのです!
ユニークなデザインの「安楽寺」。1945(昭和20)年72日の呉大空襲で本堂を焼失しました。

伏原神社を左手に見ながら、上に向かって歩きます。

「ほぉ〜。このあたりは車でも通ったことは無いですね」
「呉は上に向かって本当にたくさんの家がありますね」
など皆んなで話しながら、テクテク。


西谷自治会館入口、大之木建設西谷社宅などを訪ねながら、途中、鶴やお城のパワフルな自作と思われる作品を発見!


そのお庭の奥には、さらに気になる怪しい犬の作品が!目が光ってるし!!
みなさんも、見つけてみて〜〜〜。
ほんと、これは歩かないと発見できませんよ。
作った人のエピソードなど、いつか聞いてみたいなぁ。

小さな川には、電信柱が支えの代わりになっていたり・・・
近所の人には当たり前の風景なのでしょうが、初めて歩くと気になる風景に出会えます。

どんどん歩ていくと、視界がひらけてきましたよ。
海と船が見えました。そしてぎっしり立ち並ぶ家。これぞ、呉らしい風景です!

ちなみに、「望地」という地名について。
荘園時代、境界を示す標識である「傍示」に由来し、「傍(はた)」を立てて、ここが境である事を示したからだそう。堺川の上流望地川が旧和庄村と荘山田村の境。明治時代からは「茆地町」という漢字が使われ、戦後、当用漢字があてられて「望地町」となったそうです。きっちり計画された「西谷サンハイツ」のような住宅街があるかと思えば、そのちょっと先はうっそうとしたジャングルのような深い谷!
山と宅地の境目がぎりぎりな感じに、あらためて驚きます。
そして、この地域を通る県道瀬野呉線(広島県道174号線)は、呉市東惣付町から西畑町間は幅員が狭く急カーブが多く、近年は、呉駅前から平原経由の苗代下条行きを運行していた広島電鉄バスは高齢化が進み、生活バスに転換されました。

今回のコースは、最高地点134メートルの西谷バス停までのぼり、道を下ります。
「初めて歩く道ばかりで、まるで呉じゃないみたい!」
「案内がなかったら、絶対に歩かない道でした」

呉の街をいろんな角度から歩いて楽しむ「街あるき」、毎回新鮮な気持ちになります。
呉は複雑に入り組んだ細い道が多いのですが、こんな長くて真っ直ぐな道もあるんですねぇ。近所に住んでいる方や呉の街に詳しいタクシーの運転手さんは知っている道らしいのですが、初めて歩きました。

下りてくると、また伏原神社が見えました。
「あれ?はじめに登る時とほとんど起点は同じでしょ。こんなに深い道を歩いてきたのに、また戻ってきたの?」と、びっくり。狐につままれたような驚きです。

そして、「にこにこ農園」の売り場を発見!「にこにこ農園」は、「この世界の片隅に」に出てくるすずさんと周作さんが腰掛けていた畑と、ほぼ同じロケーションの場所で無農薬の野菜を作っています。今日は野菜が並んでいなくて残念ですが、時々並ぶ野菜は新鮮でリーズナブル、しかも安全なので、じわじわ口コミで人気が出ているそうです。

長ノ木トンネルの中も歩きました。
普段は車で通るばかりのトンネルも、やっぱり歩くと新鮮です。
車だと見過ごしてしまいますが、郷町の道端でみつけたお地蔵様と五輪の塔。
竹本さんの説明によりますと、「五輪の塔は平安時代末期からと作られたと分かっています」とのこと。
この塔が平安時代からあるものかどうかは分かりませんが、すごく古くからあるのでしょうね!
ふと片隅で見つけた石積みの塔からふれあえる歴史とロマンが深すぎる〜〜〜〜〜〜〜。
呉中央公園まで帰ってきましたよ。
みなさん、体育館前にあるこの石碑、見たことあるでしょう?!

1970(昭和45)年に建立された「宮原幸三郎頌徳碑」です。
どんな立派な方だったかと言うと。

宮原幸三郎 1890(明治23)年1月23日~1966(昭和41)年9月30日
第一高等学校から東京帝国大学法科大学卒業、文官高等試験行政科試験に合格。
1935(昭和10)年呉市助役に就任、呉市市会議員等を歴任した。
1949(昭和24)年総選挙で民主自由党から出馬し、当選。
1952(昭和27)年抜き打ち解散選挙で落選。
1953(昭和28)年総選挙で自由党から出馬して当選。
旧軍港都市転換法案推進議員連盟会長を務め海軍工廠年金支給法案の成立に尽力した政治家でした。

さらに、呉中央公園内にある石碑について学びます。
「呉文聰先生 頌徳碑」
明治期に統計学の導入と普及に努めた先駆者で、「国勢調査の生みの親」とも言われる人物です。
呉とのゆかりは、呉市出身、新澤原家系統の山田黄石の息子、だということです。
山田黄石氏は「郷里が呉である」ことから呉と改姓し、呉黄石と名乗った、という熱烈に呉への故郷愛が強かった人物を父に持ち、きっと呉のことを色々聞いていたのでしょうね。

今回の街あるきも、約5.5キロを2時間で歩いて、学びと発見がありました。
楽しかったなぁ〜。

何気なく見ていただけの「景色」としての「石碑」が、ふるさとの愛や誇りに変わる瞬間!そんなワクワクが「街あるき」で体験できますよ。

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街あるき スケジュール
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毎月第3日曜日に「街あるき」を予定しています。
3月はリクエストが多かった長浜編のパート2を開催します。
今回も「長浜里山を愛する会」のメンバーさんがサポートしてくれます!

*3月19日「第19回街あるき」(長浜をあるくパート2)

*イベントの申し込みには、団体保険の加入や連絡等のため、「くれ・ひと・まち情報応援団」への登録(メール会員無料)が必要です。
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