先日、竹本哲朗氏が案内する第2回の「まち歩き」を開催しました。
明治20年のこの記述をたどるワクワクのコースです!
「県道十号線ハ本通八丁目国道ヨリ右ニ折レ城山町、寺西町、和庄通一二三丁目、八幡上通、清水上通ヲ経テ宮原村ヲ南ニ横断シ警固屋町ニ至ルヲ云フ」
颯爽と歩く竹本さんの後についていきます。
「ここが城山町です』
「え〜、ここは昔そんな町名だったのですね!」
スタートしてから、すぐに新しい発見のある我が街、呉なのです。
続いて、「呉市戦災遭難者供養塔」のある寺西児童公園へ。
昭和20年7月1、2日の呉空襲で亡くなった方を供養するための供養塔で、昭和25年9月 赤川修一氏が世話人となって完成しました。
「この公園には初めて来ました!」「ここに供養塔があるのは知りませんでした」
そして、高日神社へ。近年では元気の良いヤブがいる神社ですが、元々は和庄村一円に疫病が大流行した時に「悪疫退散」を祈願したところ、ご加護の霊験があらたかだったために建てられたありがたい神社だそうです。
そんな霊験あらたかな神社で「コロナ退散」を祈願しました。
かつて、八幡上通、清水上通と呼ばれていた道を、竹本さんの案内でずんずん進みます。
呉の街は急激に人口が爆発的に増えたため、山の斜面にびっしりと家が建てられました。道路の整備も間に合わず、細くて急な道や階段を通らなければ帰れない家がたくさんあるのです。
「この道も初めて通ります」「案内がなければ絶対に歩くことがない道ですね」
この地区も住宅が密集しており、道幅が狭く、車の離合もなかなかの運転技術がいります。
「眺めはいいけれど、飲んで帰る時は大変そうだな〜(笑)」
参加者一同、深く同意!
正面には灰ヶ峰が見えます。第1回目の「まち歩き」は灰ヶ峰界隈を歩いたので、ちょうど向かい側を歩きました。
竹本さんの入念な下見と下調べによるガイドなので、時には「え??こんな細い道を通るのですか?」と驚きの声が上がる小道にも入ります。小学生の頃、近所を歩き回っているようなワクワクする感覚が蘇ってきますよ。
そして、「こんな所に、こんなお堂があったのですね!」と皆んながびっくりした”念仏坂”のお堂。
空襲で多くの方が犠牲になった事に心を痛めて、和庄の防空壕一帯の土地を保有していた城憲太郎氏が個人で建立したものだそうです。
伝えたい思いと歴史が、ここにもありました。
亀山神社へもお参りし、境内にある焼夷弾の傷跡が残る狛犬を見学。
「ここは何千回となく通っているけれど、狛犬に焼夷弾の跡があるとは全く気づきませんでした!」と、改めて”知ること”の大切さを実感した参加者さんもいました。
和庄児童公園にも立ち寄りました。ここには「呉空襲犠牲者供養地蔵」があります。和庄の防空壕は5つの防空壕が横穴で繋がった大規模な防空壕でしたが、逃げ込んで来ても周辺の家屋の火災の熱で蒸し焼きになったり、大量の煙が入り込んで窒息したり、と多くの犠牲者が出ました。
その当時の防空壕を思い出して描かれた絵。
「呉本」著者の丸古玲子さんも、今ボロボロになっているこの絵の事を案じており、私たちもこの絵を復元して奉納できるように動いている所です。
呉市に生まれ育った人でも、「呉空襲」や「戦争の歴史」を知らない人がたくさんいます。一人でも多くの人に、呉が生き抜いて歩んできた歴史を知ってほしいと願っています。
第2回まち歩き「和庄コース」は、とても良いお天気で上着も要らず、汗ばむほどの陽気なお天気に恵まれました。
みなさん、有難うございました!また第3回もお楽しみに。
そして、今週末2月27日(土)は呉の文化財である旧澤原家住宅(三つ蔵)の特別見学コースを企画しています。
「くれ・ひと・まち情報応援団」は、呉がさらに楽しくなる勉強会やまち歩き、様々な企画を提案していきますよ〜♪
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